由緒


主祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
相殿神 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
相殿神 弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)

 景行天皇の御代(西暦71~130年)、当所に国常立尊を祀ったやしろがありました。

日本武尊は景行天皇の皇子であり、天皇の命令で熊襲を討ち、その後に東国の蝦夷を平定されました。
この東夷平定の折、当社(大鳥神社)に立ち寄られ、東夷を平定する祈願をなされ、
また、部下の「目の病」の治癒を祈願されたところ、首尾よく東夷を平定し、部下の目の病も治り、
再び剣を持って働くことができるようになったので、当社を盲神めくらがみと称え、手近に持って居られた十握剣とつかのつるぎを当社に奉り、
神恩に感謝されました。この剣を天武雲剣(あめのたけぐものつるぎ)と申し、当社の社宝となっております。

 当社の社伝によると、「尊のみたまが当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神とりみょうじんとして祀る」とあり、
大同元年(西暦806年)には、社殿が造営されました。当社の社紋が鳳凰ほうおうの紋を用いているのは、このためです。
日本武尊の祈願成就の由緒により、目黒の祈願所といわれます。
 また、江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)には当社は鳥明神と記載されております。
尚、この江戸図に記載されている社は九社しかなく、当社は江戸九社の一つに数えられております。

”江戸名所図会にある大鳥神社”